hscの子育て

親が子供に言ってはいけない言葉「お父さんお母さんが死んだらわかるわ」

わたしは自分の両親と未だによく口喧嘩をします。

チワ喧嘩ではないですよ。

本気の言い争いです(大人の醜いののしり合いと言ってもいいかも)。

その喧嘩の原因となるものは、1つだけ。そう、わたしの育児の仕方についてです。

でも、わたしは自分の両親の子育て論を信頼していないのです。なぜなら、わたしは子供時代から両親の言動や行動によって傷ついたりトラウマになったことが多くあるし、もし今「両親を許せているか?」と聞かれたら、答えは「NO」だと思います。

ただ大人になった今は、過去の出来事を振り返り、両親を「許すそう」としています。そうしなければ、両親に対して怒りを抱えたままでいる自分が辛いからです。

また、HSCの子育ては一般的な子育て論は明らかに当てはまらないことが多く、なおさらわたしは両親の言う「あんたが〜しないからダメだ」「〜した方がいい」などの発言に賛同できず、口論となります。

子供の愛情を利用したコントロール(支配)の言葉

「お父さんとお母さんが死んだらわかるわ」

先日はこんなことがありました。

癇癪を起こす娘の対応について両親と意見が食い違い、その果てに大げんかとなった時のことです(いい歳こいて両親と大げんかって‥)。

もうこのまま話しても意見は折り合わないし、お互いの主張を理解できるわけでも、譲歩するわけでも、相手を尊重するわけでもない‥という口論の果てに母が言い放った一言がこれです。

「お父さんとお母さんが死んだらわかるわ。

出た出た、この決め台詞(捨て台詞とも言う)。

子供の頃は気づかなかったのですが、この一言には子供に対する愛情が一切ありません。また、「いつか子供にもわたし達の言っている言葉の意味に気づくときがくるだろう。」という子供に対する信頼もありません。

自分の意見が相手に理解されず、自分のプライドや気持ちを保つため、もしくは自分の行き場のない怒りを落ち着かせるための、つまりあくまでも自分を守るための言動です。

また、「自分たちが死んだ後に気づいて後悔すればいい(悔やんでも取り返しがつかないけどね)。」という意味も含んでいて、それらのニュアンスは子供に無条件で罪悪感を抱かせたり、「わたしが悪いのだ」という自分で自分を責める意識を生じさせます。

親の一言で、「あれ?わたしが悪いんだ」と、状況を冷静に考える機会を奪ってしまうんですよね。

無条件で子供に「罪悪感」を植え付ける言葉

子供にとって親は絶対的な存在。

わたしは両親の「お父さんとお母さんが死んだらわかるわ」という言動を子供の頃から聞いてきました。

その都度「自分は間違っているんだ。」「自分が悪いんだ。」「自分が親を困らせているんだ。」と、その喧嘩となった問題を客観的に考えるよりも自分を責める意識に感情が揺さぶられました。そうなると、もう考える余地はありません。

答えが既に決まっているような感じですね。「お前が悪いんだ。」と。

そのおかげで大人になった今でも自己否定感や、自己肯定感の低さの壁に何度も何度もぶち当たっています。自己肯定感の低さは人間関係や自己表現において、深刻な悩みをもたらします。

自己否定感や自己肯定感の低さを克服することの難しさを感じるとともに、幼少期・思春期に体験した親の言動や行動がどれほど子供の人間性を根深くコントロールしてしまうのかを痛感します。

下手すれば一生その傷を負っていくことにもなります。

親に対する子供の愛情を利用したコントロール(支配)とも言えます。

相手の愛情を理解した上で違う選択をする

でもですね、大人になった今、こうして両親の言動を客観的に見てみるとわたしはたとえ両親が死んでも理解できないことは理解できないままだと思うのです。

どうして相手が死んだらわかるのでしょうか?

多分それは「失って初めて気づく愛」と言いたいのでしょう。でも、それはわざわざ失って気づかなくてもいいし、それは両親の愛情に気づいていないケースにしか当てはまらないのでしょうか。

すでに今両親の愛に気づいていても、その方向性を理解できなかったり受け入れがたいことは受け入れなくていいと思っています。

ただ、両親をジャッジすることではなくて相手の愛情を理解した上で、愛情を持って「あなた達がそう思っても、わたしはそれを選びません。」と言えたら一番いいなと思います。

理想なんですけど、やっぱり感情が先立ってしまうんですよねぇ‥わかっちゃいるんですけどね。後悔しないように、両親ともうまく距離を保ちながらやっていきたいもんです。

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